柴チーさん

想いを残したい…自分らく…🍀父・母・愛する愛犬チーへ

別れ…うつ病…今の私は…

一昨年前

私は、最愛の父を亡くしました。

余命宣告を受けて、一年近くの入退院

亡くなる迄の、四ヶ月の緩和病棟

出来る限り…父に会いに行っていました。

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三姉妹の末っ子の私…

小さい頃から、甘えん坊で何時も

父の側にいました。

結婚してからは、私は両親、姉達と離れ実家から車で、三時間ほど離れた場所で

生活をしていました。

子供達が小さい頃は、金曜日になると実家に帰ってまた、日曜日には家に帰るそんな感じで、離れても休みには実家に帰って両親の顔見に行っていました。

何時も、姉達も集まり孫五人は、父(じじ)の取り合いでした。

優しいじじが、みんな大好きでした。

子供の成長と共に、やはり習い事、部活と忙しくなり実家に帰るのは、お盆、正月くらいになってしまいました。

月日は流れ…

二年程前…

姉から、じじ調子悪いとの連絡

私は実家へと向かいました

色々な症状が、父を苦しめていました。

検査結果…癌末期

手術、入院退院を繰り返し

最後に決めたのが

痛さを取ってあげたい

少しでも楽になるのなら

緩和ケア病棟でした。f:id:Toshie1123:20190919074145j:image

もちろん

じじは知りません

ここの病室へ何故移されたのか…

姉は、長期間同じ病棟に入れないんだって〜と何となく流した

父も、そっか…

寂しそうで不安そうな父の姿…

お正月は、仮退院出来るって!

その言葉を聞いた父は、よーっし!食べるぞー!ととても嬉しそうに

頑張って痛さに耐え、食欲がないはずなのに、色々なものを口にするようになりました。

そしてお正月

家族全員が揃って、孫達に囲まれて過ごした最後の正月が終り

再び病院へ…

この頃から、私は仕事も休み

一日置きには、病院へ行き父の顔みては、また三時間かけ家に戻りと、行ったり来たりの日々を過ごしていました。

覚悟はしていても

震えが止まらない

でも、父の前では何時も笑顔

父は頑張りました!

最後迄、強い父でした!

家族、孫全員に囲まれてあの世へと旅立ちました…

永眠 平成二十八年三月十七日 七十三歳

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そう…

この日から

私は変わっていきました

心にポッカリ穴が開くって

この事か…